本を読む。
CDを聴く。
これらの行為には自ずと身体的行為が付属する。
本であればページを指で手繰り、CDであればシュリンクを解いてディスクを取り出しドライバに挿入するまでだ。
何を当然のことをと思われるだろうが、作品に触れるこれら身体的行為はあくまで自発的な行動であり、それは受け手側が作品に能動的に参加していることの証左となる。
受け手によって能動的に読み、聴かれることによって初めて作品が機能するのである。
ここで、一冊の本と一枚のCDを紹介したい。
作品名:鬼和神
発行:ほた。(いよかん。)
発行日:08年12月29日(土) コミックマーケット75
サークル・いよかん。のC75で発行されたこちらの作品。
一見するとごく普通の同人誌の作りだが、コミケ当日に会場でこの本を手に取った参加者は驚いたことと思う。
私も最初は面食らい、一拍置いて「ああ、なるほど」と感嘆した。
この本、所謂「袋綴じ」形式になっているのである。
私の知る限り、袋綴じという形式を採用した同人誌はこの本が初めてだ。
和紙風の表紙も含めて遊び心に溢れた一冊。
続いてはこちら
作品名:Remains ~幻想懐郷~
発行:haLRu(MONOMIND)
発行日:09年08月15日(土)コミックマーケット76
遠野に2年間を通じて資料撮影に赴いたというサークル・MONOMINDの同人CD。
この作品、既存のCDとは一線を画す作りをしている。
真四角の黒いケースにはうっすらとスキマの模様が。
そして中央のスキマからは紫のイラストの一部が垣間見える。
CDを取り出すまでの過程はまず、スキマ両端のリボン(これがケースを固定している)を紐解きケースを展開する。
そう、文字通り「紐解く」のである。
次にブックレットが表れるのだが、ディスクに至るにはもう一つ段階を経る必要がある。
ブックレットを上下に挟む形になっているケースの別紙があるのでそれを縦に開く。開いたケースの内側にもスキマがぎっしりと描かれている。
ケースの表裏にスキマが描かれている構造となっており、作り手側のこだわりが感じられる。
そうしてブックレットを取り出した先にようやくディスクが鎮座している、という案配だ。
鬼和神は現在では入手困難だがRemainsは書店委託中なので未見の方は是非手にとってほしい。
※仕様の関係により再版は非常に困難であると予想されるので、まだ買ってない方は売り切れる前にお早めに!
※なお、余談ではあるがRemainsブックレットに掲載されている遠野の風景写真とイラスト執筆陣によるイラストの共演を目を見張るものがある。個人的にはにとりと紫のページに惚れた。
上記2点の作品に共通する点として、「作品に触れるまでに受け手側が能動的に行う工程が通常より多く存在する」という点が挙げられる。
受け手はただ受動的に本を読み、CDを聴いて終わりではない。
送り手が作品を送り出し、それを受け手が読み、聴く。そして受け手同士で作品について語り、人によっては作者に感想を送るといったように、作品という場を中心に置いた両者間での能動性が同人の現場には存在する。
その始まりとして、作品を読み、聴くための「開く」という能動的な行為が求められる。
上記2作品はそうした受け手側の能動的な行為=作品にコミットするという意識を自覚させるものとして、非常に同人的な意義が強い作品であると言えるだろう。
あくまで事例として上記の作品を紹介したが、これは何も特殊な装丁だから意識的になるというわけではない。
本を読み、CDを聴くという行為はそれだけで十分過ぎるほどに作品に参加しているのである。
今年も紅楼夢や冬コミなどイベントが控えている。
きっと個人では把握しきれない程の本、CDが出るだろう。
そんな中で、各々にとって「これだ!」と思うような作品に「参加」していこう。